本帰国したら態度がデカくなった夫
日本で生活するのは楽だよなという雑観
やっぱり人間からは権力を剥奪しておくに限る。何もできない、差別される、心細い状態にしておくぐらいでちょうどいいのではないか。
カナダから帰国した瞬間から、よく分からないタイミングで声を荒げるようになった夫を見ながら、心底ダサい人だなあと思っている。
英語もフランス語も不得手で、なおかつ人とのコミュニケーションが生きていく上でそこまで必要ない夫は、1年半滞在したカナダで、ただ一人の友達も作らないまま帰国した。
もちろんコロナのせいもあるけど。
習い事もせず、新しい挑戦もせず、週に1度スーパーに向かうだけの生活。夫の生活は、日本にいるのとほとんど変わりがなかった。
それは私にとっても似たようなものだった。
カナダは、給料は高くても、物価が高い。家賃は月に20万円ぐらい、サンドイッチは1000円ぐらい。
さらに、コロナのせいで生活も不安定だ。1年半で卒業できるはずだった学校は、3年かかっても卒業できるのか分からない。職場はコロナの状況によっては閉鎖されてしまう。
そういう中で、日本の、何がなんでも経済を止めないという姿勢は、若くて持病のない私には魅力的に写った。
(あと、正直なところ、子供が小学校に上がるまで、親としか会話をしたことがない、家の外にほとんど出ていないというのは、いくらなんでも不健康だろうと思ったのも理由の一つだ)
そういうわけで、日本に帰国してもいいのではないか、と私は思った。そしてそれに対して夫が反対しなかったのも、当然と言えば当然かもしれない。
「カナダ暮らしの日本人」というブランドが失われてしまうことが少し残念だった。
日本に住んでいるときは、人と違う意見を持っているとハナから聞いてもらえないことが多かったのだけれども、カナダに住んでいる状態で、日本暮らしの日本人と会話すると「カナダに住んでいる人が発言してくださっている」というような感じで、全て好意的に受け取られた。
あと、人の話を遮ることだけに血道を上げているようなオッサンも、欧米に住んでいる女にはシュンとしてしまう、みたいなところがあって、かなりやりやすかった。
そういうのがなくなって、また面倒なコミュニケーションをせねばならないと思うと悲しい。まあ、仕方ない。
と思っていたところで、実は夫もまた「人の話を遮ることだけに血道を上げるオッサン」だったのだ、と気づいた。
日本という国土が、男を狂わせるのだろうか。この地域でならいくら威張っても許してもらえるという甘え、この地域でなら女は男を許し愛さねばならないという強要。
くだらないイライラをぶつけ合ったあとの長い沈黙に耐えかねて私が口火を切ると、夫はそれを遮って「俺の話を聞く気があるのか」と怒鳴った。聞く気がないなら話し合いはできない、と彼は言った。でも彼は喋らないのだ。
喋る能力の低い人の話を、聞くことができない私は、人間としてどこかおかしいのだ、と彼は言う。
こういう書き方から分かるように、私はそうではないと思っている。聞いてほしいなら、分かりやすく喋る必要がある。相手に、相手のできる最大限の努力を求めるなら、自分のできる最大限の努力をする必要がある。
白人だらけだったカナダで、夫は常に怯えていた。
あらゆる物事に対して、何が普通で何が普通でないのかがよく分からなかった。
水道が漏れるのが、お湯が出ないのが、フライパンが焦げ付くのが、チャイニーズと馬鹿にされるのが、我慢するべきことなのかどうかよく分からない。誰にも相談ができない。
私たちは助け合わざるを得なかった。最高のパートナーだとお互いを励まし合った。永住権を取得するのだ、息子をカナダ人として育てていくのだと、信じて疑わなかった。
コロナがなければ、私たちは帰国なんてしなかっただろう。でも、コロナは現に起こったし、私たちは帰国をした。
私たちは共闘するべき目的を失った。
何が常識で何が常識でないかをよく知っている日本という国で、何かに怯える必要のなくなった空間で、彼は彼らしく私に怒鳴る。
あなたとは会話ができない、したくないと言う。
次は何をしよう、と私は思う。人生はどんどん終わっていくし、私は毎日生き続けたい。
生活が落ち着いたら、夫はキレなくなるんだろうか。私は彼への失望を忘れられるんだろうか。
多分忘れられる、そうしてやっていく。だって夫婦っていうのはそういうものだから。