君とスピリチュアル(2021. jan. 5)
きょうは、このみちゃんとLINEで話した。そのあとTwitterを見たりした。それで色々考えたことをとりとめなく書く。
1)
専業主婦が夫の年収を自慢するのは良くない、みたいな文言をインターネットで見かけて不思議に思う。夫婦関係は鏡みたいなものだし、同じようなレベルの人間同士でなければ結婚生活は長く続けられない。そういうのは昔から知られた真理だ。だから「破れ鍋に綴じ蓋」という言葉がある。
平均よりもずっと高い年収の男と私の人間性が、とてもよく釣り合っています、という自慢は、確かに若干鼻持ちならないかもしれないが、軽蔑するようなことではない。「私は年収1000億円です」とかと同じような、単なる「自慢」だ。
「良い人間関係を築いている人」はえらい。自分にとって心地よい人とか、自分に有益なものをたくさんもたらしてくれる人との人間関係を長く続けていくことはとても難しいからだ。
良い人間関係を築くには、まず第一に、自分の人生を諦めないままでいる、ということが必要だし、自分の人生を根本的なところでは深く愛している、ということが必要だ。そして自分の人生を愛するということは才能である。
誰かを愛するということと自分を愛するということは、大きな枠組みで考えるとあまり差異がないように思う。誰かを愛することによって私を愛そうとしている。いいことだ。君が君自身のことを誇らしく思えるなら、それが一番正しい。
2)
人生に対する幸福が同程度の人でないと、対等な人間関係を成り立たせることができない、というのはわりと真理なんじゃないかと思う。そうじゃないと、無意味に見下したり、過剰に尊敬したりといったことが起きて、コミュニケーションを取るのがとても難しくなる。
私は「友達になれそうだな」と思った人ともすぐに連絡を断ってしまうことがあって、それはまあ、時期が悪かったのかなと思うようにしている。
人生は幸せだったり不幸せだったり波がある。同じぐらいの幸福度のときにだけ仲良くできる、みたいな人間関係があってもいいのではないか。
「友達」の形にはあんまり正解がない、と言い切りたい。会わないと友達じゃない、不幸なとき連絡とれなくなったら友達じゃない、会話が盛り上がらないと友達じゃない、沈黙を楽しめないと友達じゃない、そういう「真の友達とは」みたいなそういう議論、もういいよと思う。
元気で過ごしていてほしいなあと思っていて、相手も同じように思ってくれていたら、もうそれで友達でいいよね、と思う。そのほうがいい。そういう定義でいけば私は友達が多い。
3)
無意味に見下したり、過剰に尊敬したりといったことが起きて、コミュニケーションを取るのがとても難しくなる、みたいなことをさっき言ったんだけど、考えてみると私はそういう「コミュニケーションにおけるノイズ」みたいなものが基本的にあまり得意ではない。
ここでいうノイズとは、たとえば、うーん。
たとえば、男と女がいて、お互いがお互いのことを異性愛者だと認識したとするでしょう。そうするとなんとなく、「この人と恋愛する未来はあるのか」と一瞬考えたりする。それで、その人を「異性として」評価したりしてしまう。そういうのがノイズだなと思う。
本来コミュニケーションを取るのに、もしくはその人の人間性を確認するのに、デートしたりキスしたりセックスしたりする必要はない。喋ればいい。ボルダリングでも行けばいい。
でも私たちは、異性と会話をするとき、恋愛、というフィルターを一枚噛ませて会話をしてしまうことがある。その人が人間として好感が持てるか、とかそういうのより先に、「異性」という生き物として評価ができるか、というのを持ってきてしまう。なんなら、ときどきは、恋愛なんてしたいと思っていない相手でもそういうことをしてしまう。他の人はどうだか知らないが、私はそういうことをする。これがもうなんかすごく面倒だなと思う。
ノイズ、と言っているけど、例えばこれを「レッテル」ということもあるし、先入観と呼ぶこともあるし、いいふうな言い方をすれば「メンタルのコスプレ」みたいなふうにも言えると思う。
メンタルのコスプレが楽しかった時期、というのは、私にもあった。でも最近、ちょっとなんかもう、そういうのはお腹いっぱいになってきたな、と思う。それはなぜかというとやっぱり、長生きして「私らしさ」みたいなものが定まってきたからかな。
私がまだ「誰でもない若者」だった頃、メンタルのコスプレはとても楽しかった。誰でもないのに、誰かになれたから。でももう私は私だからな。私を「私ではない誰か」として認識されるのは嫌だし、私も、誰かを「その人そのものではない何か」として認識するのは嫌だ。
人間と会話をするのは勉強になるので、そういう貴重な勉強の機会を、コスプレによって失いたくない。私はそういうふうに今は思っている。
4)
ところで、同性を恋愛対象にすると落ち着くのは、そういうフィルタリングみたいなものが存在しないからだ。女たちは、そこに男が存在しないとき、「性的に欲望されたい」という願望のことを忘れる。自分自身の肉体を、自分の所有物として使用する。
だから、女たちは本当にどうしようもないぐらいクソつまらない発言をするし、嘘だろ〜みたいな無知も開帳あそばすし、魅力的じゃない体のラインも堂々と見せる。そういうのは、その人が生きていることそのものだと思って、私はとてもそれが嬉しい。
あなたが私の前で魅力的であろうとしないので、私はようやく息がつける。あなたはどんな人間。何が好き。何が嫌い。休日は何して過ごすの。そういうことをゆっくり知っていきたいと思う。手っ取り早くセックスして聞き出せないから、ちょっとずつ頑張って会話をする。
あなたと友達でいられてとても嬉しい。あなたの反吐が出るような陰謀論もスピリチュアルな発言も全部嬉しい。それ全然モテないよ、と、聞きながらボンヤリ思う。